坂本稲荷神社(東京都国分寺市西恋ケ窪)旧恋ケ窪 名主「坂本家」によって五穀豊穣・家内安全を祈願し祀られた寛政五年創建の神社

神社・寺院巡り

坂本稲荷神社

旧恋ケ窪 名主「坂本家」によって五穀豊穣・家内安全を祈願して祀られた寛政五年創建の神社で、西国分寺駅北口から徒歩約5分の場所に鎮座しています。

夢庵レストランの斜め後ろに鎮座する稲荷神社で案内看板には、
「商売繁盛、開運、良縁、健康、健康」のご利益が書かれています。

神社全体

小さめの神社ですが、周りの木も最近切られていたりしっかり手入れされているようでした。

坂本稲荷社の案内石の後ろに見慣れない「ネコバリア」が設置されていました。

前を通るとここから認識音みたいなのが聞こえます。

一の鳥居

二の鳥居

社殿

社殿前にちょうど光が入って綺麗な感じの写真になりました。

SECOMが貼られていたり、近代的な賽銭箱には「いたずらすると電流が流れます」の文字が入っています。しっかり手入れ・管理がされている神社のようです。

坂本稲荷社縁起

この地域は、先土器時代、縄文時代中期(今から4~5千年)前から集落が有ったとされ住居跡が数多く発見されています。
この地「恋ヶ窪」の南側に湧き水地帯があり土手を背にして、横穴式住居、石畳式住居、すり鉢式井戸も有ったと先祖から聞いております。窪地の上には三輪樹木が生い茂り、狩猟によるす生活をするには格好の住居地であったであろうと想像できます。
国分寺市の調査でも50戸ほどの竪穴式住居跡が発見されており、この「坂本稲荷神社」付近にも昭和初期までその住居跡が見られました。
時代が過ぎて山野を切り開き農耕が出来るようになり、次第に文化も発達し寛政5年(1793年)坂本家先祖「坂本重郎右衛門、坂本利兵衛、坂本定八、坂本八郎右衛門、坂本吉兵衛、坂本孫八、坂本善兵衛、その他、建石七右衛門、宮寺半蔵」」により五穀豊穣、家内安全を祈願しこの地に「坂本稲荷社」が祀られました。
石造りの鳥居は東京牛込の萱沼家から、戦後に移築されたのもで柱には「寛政7乙卯年12月奉献山口丹波の守眞清」と刻まれています。
昭和43年(1968年)4月「坂本延次郎、坂本儀助、坂本竜吾、坂本誠治、坂本達雄、鈴木隆重郎、宮寺徳三郎、立石清太郎、森松之助、宮大工小林、建具岩田計次郎」により社屋を建て替えして今日に至っています。
又、平成9年(1997年)10月には敷石、石垣、外灯2本が坂本家本家義政により、提灯2張りが坂本達雄により奉献されています。
「坂本稲荷神社」のお祭りは毎年2月11日の建国記念日に、近郷近在の子供達も集まり賑やかに行っています。
平成18年(2006年)2月には坂本縁の者により鳥居が奉献されました。

 

八幡神社御神祭

稲荷

御神徳

五穀豊穣・家内安全

アクセス

〒185-0013
東京都国分寺市西恋ケ窪1丁目

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