箭弓稲荷神社(埼玉県東松山市箭弓町)箭弓=野球「やきゅう」の響きにかけた野球関係者のお参りも多い稲荷神社

神社・寺院巡り

箭弓稲荷(やきゅういなり)神社

東松山駅から徒歩数分。

創建は和銅5年(712年)、約1300年歴史ある神社です。

御由緒
野久ヶ原に本陣をはった武将の源頼信が野久稲荷神社に戦勝祈願をしたところ、明け行く空に箭(矢)の形をした白雲がにわかに現れ、その箭は敵を射るかのように飛んで行ったそうです。その後、頼信軍は勝利。帰陣した頼信は、ただちに野久稲荷に戦勝報告を済ませると、この勝利はご神威、ご神徳によるものだとして、ご社殿の建て替えを寄進するとともに、野久稲荷を箭弓稲荷と改めて呼ぶようにと里人に命じたのでした。「野久」が「箭弓」に通じることから源頼信は、野久稲荷神社を崇敬していたようです。

「箭弓」とは弓矢を意味しますが、読み方が同じことから、近年、スポーツ「野球」の神様としても人気となっていて参集殿にはバットを模したお守りや、ベースの形をした絵馬など野球にちなんだグッズもあります。

つい最近の令和5年11月24日(金曜日)、国の文化審議会は「箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿」を国重要文化財指定とするよう、文部科学大臣に答申。 「箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿」が江戸時代後期の神社建築の様相を良く残す点が高く評価されたもので、国指定重要文化財となる見込みが発表されました。

この事が関係あるかは不明ですが、本殿の建物等カメラで撮ってる人も何人か見かけました。

一ノ鳥居

二ノ鳥居

三ノ鳥居

手水舎

市指定の文化財に登録されています。
天井には、見事な絵が描かれています。

境内

境内では、綿あめの出店が一店。
七五三詣期間のようで、境内は親子の参拝が多かったです。
バット型の絵馬掛けが目を引きました。
社殿前に、右手が母子の狐。左手が父の狐で親子像が鎮座しています。

世界一のギネス記録の大きな御朱印
鎮座1300年を奉祝し作成されたそうです。

参集殿

お守り・御朱印など販売・御祈祷など受けられます。

社殿

社殿裏

以前から県指定文化財の社殿でしたが、国重要文化財指定へ。
1835年に造営された江戸時代の造りで豪華な彫刻が施された建物です。

元宮

本殿裏に鎮座されています。
市の指定文化財に登録されています。
右手の狐像が咥えているのは「鍵」。
左の狐像の手には「玉」でしょうか。
稲荷信仰には玉鍵信仰たまかぎしんこうというものがあります。
玉と鍵は陽と陰、天と地を示しているもので、万物はこの2つの働きによって生成され育つことを象徴しているという説があるそうです。

神楽殿

納札所

社殿裏にあります。

社殿裏にある小さい稲荷神社の祠

社殿裏にある鳥居

横はホテルの建物です。

縁結びの木

境内の牡丹園の入り口近くにあります。松と栴檀(せんだん)の木が寄り添うように並んで生えていることから縁結びの木と言われています。
「やっくん、きゅうちゃん」の夫婦きつねの石像が木前にあります。

ぼたん園

大正12年(1923年)に東武東上線坂戸・東松山間の延線竣功を祝し、東武鉄道株式会社初代社長・根津嘉一郎氏が牡丹並びに藤、松が奉納されたことから始まり神社の管理により関東一の規模を誇るといわれるぼたん園になりました。

境内のぼたん園は4月中旬頃が見頃のようです。
今の時期はぼたんは全然咲いていないです。

神社横手にある鳥居を抜けるとすぐぼたん園になります。

庭園池

池の一角に鯉が飼われてます。

境内社

天神社

ぼたん園の一番奥の高さ約3m程の築山に鎮座する境内社です。

学業成就・書道の神様で、毎年1月に行われる天満宮祭には書道展も合わせて開催されています。

宇迦之御魂社(團十郎稲荷・穴宮)

箭弓稲荷神社の境内に鎮座する境内社。
1871年、7代目市川団十郎30歳の時、江戸での歌舞伎が大当たりとなり、お礼として石造りの祠堂と押絵額を奉納しました。以後、芸能の神様として広く崇められるようになりました。

御祭神:宇迦之御魂神(伏見稲荷大社主催神)

御朱印

箭弓稲荷神社の通常御朱印(500円)直書きを頂きました。
他にも境内社の宇迦之御魂社の御朱印もあったようです。

主神祭

保食神(宇迦之御魂神・豊受比賣神)

御神徳

五穀豊穣、商売繁盛、交通安全、火難除、開運出世、学業成就、芸事成就など

アクセス

〒355-0028
埼玉県東松山市箭弓町2丁目5-14

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