小網神社(東京都中央区日本橋小網町)ゲッターズ飯田さんもお薦めした強運・厄除けのパワースポット

神社・寺院巡り

人形町駅から歩いて数分。
ビル街の中に鎮座する小さな神社です。

ゲッターズ飯田さんや他の占い師も何人もおすすめするパワースポットとして知られる神社でもあります。「突然ですが占ってもいいですか?」に出ていた村野弘味さんも本でこの神社を紹介されていました。

有名なパワースポットとして知られるようになった理由はこの神社の歴史にあります。

有名なパワースポットになった理由

理由1

第二次世界大戦の際、戦地へ赴くことになった氏子の出征兵士に対し行った出征奉告祭に参列し、当神社の御守を受けた兵士が全員生還されました。

理由2

昭和20年3月10日、東京下町地区に未曾有の災害をもたらした東京大空襲の際は、社殿を含む境内建物は奇跡的に戦災を免れています

理由3

旧社殿は大正⒓年9月1日の関東大震災において倒壊しましたが、当時の宮司は稲荷大神や弁財天等の御神体を抱え、近くの新大橋に避難しました。そこへ大挙して避難してきた人々に混乱がなく、また新大橋自体も落ちずに、大勢の人が助かったといわれています。当時の様子は新大橋の袂にある避難記念碑にも「小網神社の御神体を伏して拝み、加護を願った」と記されています。

以上のことから、強運・厄除けのパワースポットとして知名度があがっていきました。

神社の由緒

文正元年、庵の周辺で悪疫が流行した頃、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕に立ち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅することを告げたそうです。 庵主は恵心僧都の託宣を村人たちに告げ、翁を小網稲荷大明神と称え、神社を創建して日夜祈願をつづけました。すると間もなく村の悪疫は鎮まったそうです。

その後、名称は「小網山稲荷院萬福寿寺」に変更されました。慶長年間は、周辺地域が小網町と名づけられ、この神社を氏神と崇められました。

現在では、戦後の宗教法人化に伴い、名称は「小網神社」となりました。
社殿・神楽 殿などは現在、中央区の文化財に登録されています。

 

鳥居・社殿

手水舎

鳥居右手に手水舎があります。

社殿前の狛犬

社殿

両隣と真ん中に龍が掘られています。
さらにその前には鳳凰が掘られています。

強運厄除の「昇り龍」「降り龍」

社殿向拝(屋根内側)の左右にある彫刻の龍はそれぞれ向きが反対になっています。
右手側には「昇り龍」。左手側には「降り竜」が掘られています。

この龍は神社の御利益にちなみ、強運厄除の「昇り龍」「降り龍」として崇められています。 「昇り龍」は、参拝者の祈りや願いを受けて神様に伝え、「降り龍」は、神様からの徳(神徳)を参拝者に授けると伝えられています。

 

 

 

 

 

 

右手側「昇り龍」↑

左手側「下り龍」↑

東京銭洗い弁天の社・銭洗いの井

こちらは金運の御利益も有名な場所です。境内左側にあります。

像がお舟に乗られているため、萬福舟乗弁財天(まんぷくふなのりべんざいてん)として信仰されています。この井で金銭を清め、財布などに収めておくと、財運を授かるとされており、近年は「東京銭洗い弁天」として崇敬を広げています。


萬福舟乗弁財天像↑

現在ザルはコロナウイルスの感染対策のため置かれていませんでした。

徳を授ける福禄寿さま

健康長寿の御利益とともに、「福徳」「人徳」「財徳」など、さまざまな「徳」を授ける神様として、日本橋七福神の一柱にもなっています。

福禄寿像↑

御朱印

小網神社・小網弁財天・福禄寿の通常御朱印を3種頂いてきました。
一枚500円です。

お守り等

厄除けや金運のお守りが特に目立ちました。

御祭神

・倉稲魂神 うがのみたまのかみ(お稲荷大神)
・市杵島比賣神 いちきしまひめのかみ(弁財天)
・福禄寿 ふくろくじゅ

御神徳

強運・厄除け・金運・健康長寿・福徳・人徳・財徳など

アクセス

〒103-0016
東京都中央区日本橋小網町16−23

 

 

 

 

 

 

 

 

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