川越大師 喜多院(埼玉県川越市小仙波町)

神社・寺院巡り

1月8日に訪問しました。
川越駅から徒歩20数分程の仏教寺院です。

喜多院 山門。
喜多院の入り口になります。喜多院の山門は寛永9年(1632)の建立だそうです。
寛永15年の川越大火で焼け残り喜多院の建造物では一番古いものになります。

お正月シーズンなので出店が沢山出ていました。

15時半くらいに行きました。本殿のへは15分ほど並んで参拝出来ました。
ちょうど西日が綺麗に光っていて写真の日の光が色づいていました。

本殿すぐ横ではお守りが販売されています。
お守りの袋(500円)と中身(500円)で別売りになります。
中身は4種類から選べて他は厄除け等ありましたが出世運を選びました。

喜多院の境内に川越七福神の大黒天がお祀りされてますが、
お正月の期間だけは多宝塔の前に移動しているようです。

川越大師 喜多院までのアクセス

川越大師 喜多院

〒350-0036
埼玉県川越市小仙波町1丁目20−1

由緒

平安初期の天長7年(830年)に淳和天皇の命により円仁(慈覚大師)が天台宗の教えを東国に広めるために無量寿寺として開創したのが始まりです。

慶長4年(1599年)徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し寺号を喜多院と改めます。折しも川越藩主となった幕府老中の酒井忠利が喜多院の再興に当たります。

徳川第2代将軍徳川秀忠公は、喜多院を関東天台総本山として定め、寺領500石を賜ります。 寛永15年(1638年)の川越大火でほとんどの建物が焼失しますが、徳川第3代将軍徳川家光公は幕命により江戸城の紅葉山御殿の一部を移築します。これは喜多院の客殿、書院、庫裏にあたります。

その後、川越藩主となり老中となった堀田正盛により喜多院と仙波東照宮が再建する普請奉行に命ぜられ天海僧正と共に復元させます。 徳川第4代将軍徳川家綱公はさらに250石加増し寺領を750石とし、寺域を48000坪の大寺となります。

以降徳川家に厚く保護をされ、境内に仙波東照宮や、日本三大羅漢の1つに数えられる五百羅漢像(538体)の石仏が鎮座しています。他、徳川家御家門にあたる松平越前家の流れを汲む松平大和守の川越藩主の松平朝矩公(まつだいら・とものり)〜松平直候公(まつだいら・なおよし)までの5代にわたる墓もあります。

 

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